志賀勝明さん講演会            「東電福島原発事故から15年 福島の現状」

50年間 原発に反対してきて悔いなし

志賀さんの話に耳を傾ける聴衆

 3月8日、福島県相馬市から志賀勝明さん(「鈴木安蔵を讃える会」会長、元・ホッキ貝漁師)をお招きして、原発事故から15年経った福島の現状などを語っていただきました。会場の愛媛県美術館講堂には80人余の参加がありました。

 はじめに、須藤昭男事務局長は、自身の故郷である福島で流れた血と涙の象徴として、赤いネクタイと真珠のタイピン姿で挨拶に立ちました。国の原発最大限活用方針のもと、伊方原発運転差止訴訟は高松高裁に闘いの場を移します。そのことを説明しつつ、この機会に福島で長年、命がけで原発に反対してこられた志賀さんが、遠路はるばる松山まで講演に来られたことに謝意を述べて開会の言葉としました。

 志賀勝明さんは1時間近くにわたり50年間に及ぶ反原発の闘いについて以下のようなお話をされました。
1)1948年に現在の南相馬市小高区で半農半漁の家に生まれ、18歳から漁業に従事。
2)1973年25歳の時に、原発についての学習会に参加。安斎育郎氏らから「原発からは毎日、阿武隈川の水量以上の、高温の排水が海に流される」などの話を聴き、初めて原発の危険性について知ってショックを受けた。
3)同じ年に福島市で「東京電力福島第2原発」の公聴会が開かれ、排水の影響が心配で原発反対の意見陳述を行なった。所属していた浪江町請戸漁協組合員はほとんどが原発賛成だったため、村八分状態となった。
4)福島第2原発反対訴訟原告団404名の一人となる。組合で「原告になっているのか」と問いただされ、辛い思いをした。
5)東北電力の「浪江・小高(棚塩)原発」建設計画にも反対し、1974年秋に浪江町請戸漁協青壮年部を除名された。また、「海に出て何かあっても助けない」と脅された。それ以降、漁に出るときは天候や燃料などの点検を人一倍シッカリとしてわが身を守った。
6)1975年27歳で小高の連合青年団団長となり、「浪江・小高原発」の建設阻止のために、日本科学者会議の中島篤之助氏を招いて講演会を開催し、放射能廃棄物処理の問題点などを学んだ。
7)2011年3・11原発事故のあと、2013年3月28日に東北電力の建設計画は断念された。自分たちの50年にわたる反対運動の成果でもあり、苦労はあったが全く悔いがない。本当によかった。
8)震災後、被災地案内に鈴木安蔵宅を加えて、「日本国憲法の間接的起草者」としての業績を紹介している。その縁で、2020年に仲間と「鈴木安蔵を讃える会」を設立し、鈴木安蔵の世界平和を目指し時代を先取りした日本国憲法、特に第9条を護ろうとする想いや業績を皆さんに紹介している。
9)元漁民として、汚染水の海洋放棄に絶対反対。

会場での配布資料 260308志賀さん松山での報告資料(軽量)

原発反対を貫き通した人生に悔いはないと志賀勝明さん

 講演会の様子は、小倉正さん製作の以下のツイキャスをご覧ください。
志賀さん講演会1  https://twitcasting.tv/togura04/movie/832066816
志賀さん講演会2 https://twitcasting.tv/togura04/movie/832068196

 志賀さんの講演後に、パワポ操作をして講演を支えた娘の那穂子さんは、原発建設反対をしていた父親が、それを理由に漁協を除名され、村八分扱いを受けながら自分を育ててくれたことは、子供時代には全く知らなかったこと、また、何も悪いことをしていないのに人災である原発事故で故郷を取られたことが悔しいと述べられました。

 質疑応答では、何人もの方が質問や感想を述べました。志賀さんの応答の中で印象に残ったいくつかを列挙します。
1) 松谷影夫著「裁かれなかった原発神話」(かもがわ出版)を是非読んでほしい。(とめる会に2冊、寄贈くださいました)。

2) 「原発推進だった人たちは事故後に考えが変わったか」との質問に、事故(歴史)を振り返って改めることで再発を防げる。だが、福島ではそれができていない。皆さんは、原発事故が起こるとどうなるか、現地に行って確かめてほしい。事故が起きる前に原発はとめなければダメだ。福島の実情を伝えないメディアに問題があると思っている。

3) 復興というが、行政はいいことばかり吹聴する。実際には不都合な事実がたくさんある。例えば、除染されているのは農地などだけで、道路ののり面は除染されていない。これまで約5千人を被災地に案内したが、のり面・農地などを線量計で測ってもらい、表示される線量が桁違いである現実を知らせている。

4) 社会に対して常に関心を持ち、学習会の機会を持ち、矛盾に気が付いたらそこを貫くしかない。自分は「変わり者、まともでない」と言われ続けたが、原発事故が起きて自分が正しかったことが証明された。他人の評価は関係がない。自分を貫いてきたことがよかったし、悔いのない人生だった。

5)日本国憲法はアメリカの押し付けという人がいるが、鈴木安蔵さんらは当時の政府とGHQの両方に「憲法草案要綱」を提出し、その中で天皇主権から国民主権を訴えていた。このことを若い世代に教育のなかで教えていってほしい。

 志賀さんと参加者との充実したやり取りのあと、越智勇二事務局次長が閉会の挨拶を行い、講演会は終了しました。