提訴13年記念講演 「能登半島地震と珠洲・志賀原発」講師・北野進さん そのあと市内5か所でスタンディング

講演中の北野進さん

 伊方原発運転差止訴訟の松山地裁への提訴は2011年12月8日。今年6月18日、第40回口頭弁論で結審し、来年3月18日が判決期日です。

 そこで、12月7日、伊方原発をとめる会では「福島事故を忘れるな! 繰りかえさない! 松山地裁判決迫る! 提訴13年記念講演会」を開催しました。

 石川県珠洲市在住「志賀原発を廃炉に!訴訟」原告団長の北野進さんを講師にお迎えして、「能登半島地震と珠洲・志賀原発」についてご講演いただきました。会場のコムズ(松山市男女共同参画推進センター)大会議室には、午前中の開催にもかかわらず70人の参加があり、熱心に聴き入り、たくさんの学びを得ることができました。講演のあと、参加者が市内5か所に分散してスタンディングを行いました。

提訴13年記念講演会

 講師の北野進さんは、石川県珠洲郡内浦町(現・能登町)生まれ。大学入学で地元を離れ、就職するも、有機農業を始めるために脱サラして地元に戻られました。その後、珠洲原発反対運動に取り組み、1989年、珠洲市長選に立候補するも落選。31歳から石川県議を3期務めて、2003年珠洲原発を計画撤回に追い込みました。その後、石川県平和運動センター事務局長、2011年から珠洲市議を2期務めて引退。2012年に提訴した「志賀原発を廃炉に!訴訟」の原告団長を務めておられます。珠洲原発計画を押しとどめた成功体験をお持ちの北野さんのお話は、私たちに勇気を与えてくれるものでした。

熱弁をふるう北野さん

   講演資料 241207提訴13年記念講演 能登半島地震と珠洲・志賀原発by北野進さん  

  以下、テーマ別に要点をまとめてみました。(とめる会事務局による)      

 1. 珠洲原発が建設されていたら、、、  確実に原子力災害になっていた!
  ・1月1日の能登地震の震央は関西電力予定地だった高屋地区の裏山。また、寺家は
   中部電力予定地。一帯は、入り江の地形が変わり、約2メートルもの隆起が起きた。
  ・珠洲原発は、地元誘致型
     若い人の流失がとまらず「過疎脱却のための一石十鳥の大事業」とされた。
  ・福島や若狭のような大原発基地として構想されていた
     関西電力、中部電力、北陸電力の3電力共同開発。

2.珠洲原発阻止へのたたかい  選挙で民意を問いながら推進派と闘う!
   ・1976年、 関西、中部、北陸の3電力が原発計画を公表
   ・1984年、中部電力が寺家地区に、1988年、関西電力が高屋地区に事前調査申入れ
   ・1989年4月の珠洲市長選で、原発反対票が推進票を上回り、推進派に大打撃!
    立候補した北野さんたち2人の票を合わせると「反原発票が過半数」と大きく
    報じられた。
   ・1989年5~6月事前調査に30日間の阻止行動、珠洲市役所会議室で40日間座り込み
    関電による珠洲原発の立地調査(高屋町)中断となる!
   ・1991年 石川県議選で北野さん勝利。珠洲市議選でも反原発1議席から4議席に。  

 ・1993年2月7日 能登半島沖地震、M6.6

 ・1993年4月珠洲市長選 「地震と原発」大きな争点 推進派が勝利するが、選挙の
    不正発覚!「不正選挙糾明」運動へ。

 ・1996年5月最高裁で選挙無効が確定。
    原発立地のためには民主主義の根幹である選挙がゆがめられ、人権侵害が多発した。
 ・2003年12月、3電力が珠洲原発の建設断念!

 ここにきて、ついに関西電力、中部電力、北陸電力が珠洲原発建設を断念!

反対派の勝因はどこにあったのか。

3.志賀原発反対運動の歴史  志賀原発は次の大地震に耐えられるのか?

・1967年、北陸電力が原発建設を公表 漁協や住民による激しい反対運動がおこる。

・1984年、県が反対漁協つぶし!「肩代わり海洋調査」を実施して結果を北陸電力に売却。

・1993年、26年間の反対運動の末、1号機営業運転開始。

・2006年3月、2号機営業運転開始。 

・  同3月、金沢地裁(井戸謙一裁判長)差止判決!  

・2011年3月1日、1号機トラブルで手動停止(適合性審査未申請)

    3月11日、2号機定検で停止(適合性審査中)

・2012年6月、 志賀原発を廃炉に‼訴訟提訴 

・2024年1月1日、能登半島地震発生

裁判所はこの事態をどう判断するのか、今こそ裁判所の姿勢が問われている!

4.能登半島地震と志賀原発への影響

 ・4年前から続く群発地震 市民は翻弄されていた 原因は地下の流体説
 ・そして2024年1月1日能登半島地震発生 

 地震性隆起が繰り返された志賀原発の敷地!
    志賀原発はこんな地形の上に建っている
!!

志賀原発は活断層に取り囲まれている!!震度5強に大地震がきたらどうなる?

5.複合災害で避難はできない 

能登半島地震で実証された事実!原子力防災を担う人はいない!

  ・福島事故で「安全神話」崩壊 

   「重大事故は起こり得る」「大量の放射能放出もありうる」ことを前提に原子力政策 

   を進めるので皆さん、安心してください」って?!    

   国も電力会社も、能登半島地震の被害では、過去30年に日本が経験した地震被害の

   全てが出現している事実を直視すべき。 

 広域避難の前提条件 6つとも 能登半島地震では全て破綻していた! 

 1.電力会社からの正確な事故情報の発信破綻!2.放射能拡散状況の把握(モニタリング)破綻!

 3.自治体から住民へ避難情報の伝達破綻! 4.移動手段の確保 破綻!

 5.避難経路の確保 破綻! 通行不能で陸路ダメ、海路もダメ、空路も無理

 6.避難先施設の確保 破綻! 避難先が壊滅的被害 屋内退避ムリだし、できても防護機能ないし、断水していて滞在ムリ!それに、原発震災だったら誰が防災業務を担えるか?

 能登半島地震を受けて、原子力規制委員会の方針は?  

  「原子力災害対策指針の基本的な考え方は変えません」2024年2月14日原子力規制委員会討議で意見一致

 国の開き直り発言に 唖然!

講演の最後に北野さんは、能登半島地震の教訓として、次のように述べられました。
 「能登半島地震で地震学・活断層審査の限界が明らかになり、また原子力災害対策指針の破綻も明らかになりました。だが、これを認めない規制委員会がある。私たちの裁判では、裁判所はまだ規制委員会に追随するのかと訴えることになります。こちらの伊方の裁判も同じだろうと思います。
 さらに、国民の皆さん、こんな規制委員会を信用して、原発回帰路線の政府を信用するのですかと、改めて能登半島地震で問われていると思います。
 そもそも数十万人単位で避難計画が必要となる原発とは何なのか? これは難しい理屈を超えた単純な常識で考えるレベルの話だと思う。当時、私たちは自分の頭の上に降り注ぐ放射能だけを心配していました。が、珠洲原発でもし1千万kW構想が実現していたら、能登半島地震があり、関西から中京、首都圏まで汚染の可能性もあっただろうし、日本海が汚染の海になっていたと思います。皆さんの力もいただいて珠洲は止められたし、幸い志賀原発は止まっていた状態のなかで現在があるわけで、原発のない未来に向けて一緒に頑張っていきたいと思っています。」

 盛りだくさんな内容にもかかわらず、90分ピッタリに講演が終了。熱心に聞いていた参加者からの質疑応答となりました。

Aさん
 能登半島地震が起きた時に能登への救援機が羽田空港で事故に遭ったのがショックだった。愛媛でも2月26日(震源・愛媛県南予、伊方の近くM5.1)と4月17日(震源・豊後水道M6.6)に大きな地震があり、他人事でない。素晴らしい活動を実践されている方の話を聞けて、大変に参考になった。
Bさん
 珠洲原発の計画が中止になった時の住民の反応は?
 (北野さん)反原発の自分たちの勝利だったが、「勝った」と言わないようにした。お互 
  いに、原発問題には触れないようにしていくうちに、推進派の人たちも納得していき対 
  立が解消していった。能登半島地震のあとには、「珠洲原発がなくて良かった」と言え
  るようになったが、気軽に言えるかというと難しいところもある。
Cさん
  原発反対運動は難しいと思うが、具体的にどのようにことを運んだのか
 (北野さん)選挙を活用した。保守系でも原発に反対の人を巻き込む。反原発の支持団体を作っていくのも大事。最初は少人数での行動だったが、昼には阻止行動、夜には高屋で集会をして頑張った。その内、人が集まって市議会議員が出せるようになった。市長選挙では、自民党だけど原発反対の人を巻き込めたのも勝因だ。

 講演会後に、須藤昭男事務局長は、「提訴13年記念講演に際して、フクシマを忘れない、繰り返してはならぬと思いながら、北野さんの講演を聴いた。一致団結すれば国策にもストップをかけられると勇気が湧くお話だった。3月18日の判決の勝利を確信もした」と、述べて、講演会は閉会しました。

閉会の挨拶をする須藤昭男事務局長

参加者からの感想をいくつか

M.Hさん 珠洲原発を阻止されたことに感謝
 珠洲原発の建設がもし阻止できていなかったらと想像すると空恐ろしい気持ちになりました。長い期間様々な手立てを講じて闘い抜かれ、阻止されたことに感謝するしかありません。志賀原発の裁判については「(再稼働は)国策なので勝てるか分からない」と仰っておられましたが率直なご見解だと思いました。志賀に限らずどの原発も裁判だけではとめられない可能性があるので、他の道筋も一緒に考えて実行していければと考えています。

T.Sさん 身体を張ってとめてくれて、皆が救われた
 よくぞ珠州原発を阻止していてくれた。大勢の人が能登半島地震の後でこう思ったと思います。北野さんはじめ当時、住民の皆さんが身体を張って珠州への原発建設を止めてくれたおかげで本当にみんなが救われた。にも関わらず、能登地震と豪雨災害に襲われた皆さんへの政府の対応は言語道断、今、この国民を守るために必要なのは防衛省-自衛隊-軍備では無く、防災省-災害救助隊-防災インフラだとつくづく思います。原発の延命再稼働などとんでもない。

E.Hさん 伊方廃炉へのヒントをもらえた
 今年元日に起きた能登半島の大地震、今年も終わろうとしているのに行政から未だ充分な援助がない現状に憤りを感じているのは私だけではないはずだ。同時に電力会社の計画通りに珠洲原発が建設されていたら、と思うとゾッとした人も多かったはず。1972年から計画されていた珠洲を原発大基地にする構想を打ち破ったのは紛れもなく地元市民の皆様の運動だった。その中心を担った北野さんのお話はパワポと共に解り易く、伊方原発を廃炉にするためにどのような運動を実践すべきなのか多くのヒントを教えられた。電力会社や行政の広報は勿論、有識者と呼ばれる人達は信頼できないと。地震学は発展途上であり、私達が主体となり正しい情報を集め行動に転化していくことが重要だと痛感した。まやかしの避難計画で責任を放棄する行政ではなく、住民の安全を第一に掲げる行政を作ることから始めねばならない。諦めず声をあげ行動を続けましょう!

Z. Kさん 配布資料がとにかく解り易い!
 北野さんの講演を聞くことが出来て本当に良かった。原発がもたらす多くの問題を包括的に理解するのに多いに参考になった。会場で配布された資料を何度も繰り返し読んでみた。とにかく解り易い。よくできている。政府は国民の安全・安心・財産を守ると何度も何度も言っている。それってほんと?次世代の若者にも是非配布資料を読んで欲しいと思った。

H.Sさん 一人ひとりに大きな勇気を与えてくれる
「珠洲原発阻止のたたかい」の歴史を当事者から聴いて、感動した。巨大な権力組織の「推進計画」に、真っ向から立ち向かった小さな人々の不屈のたたかいは、14年後に「計画白紙撤回」を勝ち取った。その激しく熱いたたかいの歩みに敬意を表したい。ぜひ、北野氏には全国各地を講演行脚してほしい。きっと多くの原発反対運動者一人ひとりに大きな勇気を与えることだろう。

市内5か所で伊方裁判の勝利に向けて スタンディング!

 講演会後に、参加者らで、松山市内の5か所に別れて、来年3月18日の伊方3号機運転差止訴訟の勝利に向けてスタンディングを行いました。41人の参加がありました。

場所は、1.愛媛県庁前、2.四国電力原子力本部前、3.松山市駅前、4. 大街道一番町口、5.南堀端(城山公園南口)。

工事中の市駅前改札口付近に一列になって
同じく市駅前改札口付近 14人でのスタンディングでした!

 珠洲にお戻りの北野進さんのFBから拝借

 来春3月18日の伊方原発訴訟一審判決を前にした「提訴13年 記念講演会」に招かれ松山市へ。
中央構造線断層が原発の前を走り、南海トラフも心配される伊方原発。加えて細長い佐田岬半島の付け根に位置し、避難という面では最悪の場所に立地する伊方原発。
能登半島地震の教訓を話すまでもなく、地震の問題や避難計画の破綻については、私たち以上に多くの議論を展開してきたのが愛媛の皆さんである。あらためて講演というのもおこがましい気がするが、地震が起こって懸念が実証されたこともある、地震が起こってあらためて気づかされる問題点もある。
一審の勝訴を信じつつ、結果如何にかかわらず控訴審は確実だから、今後のたたかいに少しでも参考になることがあればと能登の経験を話させてもらう。
講演会終了後の市内5カ所に分かれてスタンディングアピールは、私は四国電力の原子力本部前の行動に参加させてもらい、ここでもマイクを持って伊方原発廃炉をアピール。