第14回定期総会・記念講演会は5月26日(日)、松山市男女共同参画推進センター(コムズ)大会議室にて行われました。
須藤昭男事務局長は開会にあたり、311東電福島第一原発の事故ゆえに命を奪われたり、未だ苦悩、無念のうちにある方々に想いを寄せ、「私たちは全員、それぞれの役目を担ってヨットに乗っているようなものだ。荒波を恐れ避けようとしてはならない。原発をとめる日まで全員力を合わせて前進、乗り越えましょう」と挨拶しました。(以下、時系列で記念講演会、総会の順で紹介)
武藤類子さん「終わらない原発事故と福島の今」を語る
武藤さんは、福島原発告訴団・団長、原発事故被害者団体連絡会・共同代表、311甲状腺がん子ども基金副代表理事などを務めておられます。記念講演会には100人の聴衆が詰めかけました。福島事故から13年を経ても、とても復興したとはいえない福島の現状についてパワーポイントを用いて分かりやすくお話いただきました。以下は、とめる会HP担当者による要約です。
武藤さんは、311前は原発に頼らない生活を心掛け、それを人々にも伝えられるようにと地元で里山喫茶「燦(きらら)」を経営していたと自己紹介。
福島原発事故から13年経った今も「原子力緊急事態宣言」は解除されておらず、廃炉への道筋も未だ見えておらず「廃炉など夢物語」だと説明。事故当時、約17万人もの人が強制避難となったが、今もなお「帰還困難区域」があり、戻る場所もない避難者が福島県等により「原発避難者追い出し裁判」を起こされて災害公営住宅から追い出される現実がある。
そして、昨年夏から強行されたALPS処理水=汚染水の海洋放出については、2014年から「ALPS処理汚染水差止訴訟」を起こしている。福島の教育現場では「処理水を『汚染水』表現した」ことを問題視した自民党が意見書を県議会に上程し、それを県議会が採択するという教育への政治介入もあった。
また、福島の子ども達に異常に多く発症している小児甲状腺がんについては、「311子ども甲状腺がん裁判」が闘われている。通常は100万人に1~2人といわれる小児甲状腺がん。福島の子ども達約38万人の中で、がん確定患者が276人、がんの疑いも含めると330人もがり患している(2023年9月末現在)。突出した数字と言えるが、県はスクリーニング効果や過剰診断の結果と結論づけて、福島事故との因果関係を認めようとしていない。
東電刑事裁判については、2012年に福島地検に東電元経営陣3名を業務上過失致死傷罪などで刑事告訴・告発。2015年に彼ら3名の強制起訴が決定するが、2019年東京地裁で全員無罪、2021年控訴審でも無罪判決が出て、現在上告中。今は、「東電と関係のある最高裁判事に裁判をさせないで!」との署名活動を展開中(会場でも多くの人が署名に参加)。
2014年に福島復興加速化計画が制度化されて莫大な復興予算がついた。福島イノベーションコースト構想が始まり、最先端技術を開発する大規模な施設の建設ラッシュとなっている。その中に海洋放出「風評対策」の宣伝事業がある。復興庁は「海洋放出『風評被害』の宣伝事業」に15億年も投入して躍起となっている。「出前授業 復興庁職員と考える福島の復興」なるPRで、2022~23年に全国の高校8校で復興庁の職員による出前授業を行って、原発回帰のための新たな「安全神話」作りを始めている。
これらの話の最後に、武藤さんは「いつも絶望の海にいるが」「負けても、翌朝にはまた闘いに行く。絶望を知っているからこそ、希望もその中にある」「今日の聴衆のように同じ価値観を持っている人がいることが希望」だと言われ、アメリカの友人から教わったインドの作家の言葉を引用して講演を締め括った。それは「愛すること、愛されること、自分のちっぽけさを忘れないこと、自分のまわりの言いようのない暴力や下品な格差社会に慣れないこと、最も悲しい場所に喜びを求めること、美をその隠れ家まで追い求めること、複雑なものを単純化したり、単純なものを複雑にしたりしないこと、決して力ではなく強さを尊重すること、何よりも見守ること、理解しようとすること、決して目をそらさないこと、そして決して決して忘れないこと」だと。
武藤さん講演配付資料 240526武藤類子さん講演資料2to1P
講演への感想
Aさん
武藤さんのお顔を最初に生で拝見したのは、福島事故半年後ぐらいの、さようなら原発集会(東京・明治公園)でのことだった。こんなとんでもないことが起きたんだから、廃炉にしなきゃ!世の中変えなきゃ!きっと変わる!みんなの顔にそう書いてあった。とても大切な集会だった。とりわけ武藤さんのスピーチは、はじまる前からワクワクしたし、福島の空気が運ばれてきたようで、スゴい人だな、この熱を忘れちゃいけないな、と思ったのを覚えている。のちに「福島からあなたへ」の本に彼女の熱は詰め込まれた。そして私は愛媛にUターンした。伊方原発はまさかの再稼働となった。チェルノブイリの後も、能登半島地震の後も、またこうして終わりの見えない福島事故の経緯を聴かせてもらった今も、私たちは何度も怯え、怒った、その繰り返し。でも忘れない!継続する!伝えよう!
Bさん
とにかくお金にまかせて、ねじまがった情報を流していること、そこに多量の税金が使われていることに、すごく腹が立ちました。私のまわりでも、「処理水って飲めるくらい安全なんでしょ」という人がいます。じゃあ飲めよ!と思ってしまいます。あらためて、どうすればいいのだろうとしみじみ感じています。
Cさん
放射性物質が安全だと思わされている高校生の写真にはびっくりし、本当のことを知る権利を奪ってはいけないと思いました。
Dさん
「絶望と希望」―武藤さんは、福島の絶望を伝え歩く。私たちはその話から福島を知り、伊方につなげ、自分の足元で行動する。私たちの裁判もその一つ。知り、つながり、行動するーそれが希望だ。そのように行動していきたいと思う。類子さん、有難う!
Eさん
説得力のある話だった。フクシマの“今”がよく分かった。
Fさん
国、裁判所、東電、原子力に群がる勢力に負けず、正しい運動に取り組まれている姿に元気をもらいました。
Gさん
2012年から福島で闘ってきた経験を十分にお話いただき心にしみました。
Hさん
現地の福島の色々な問題点を教えて頂きました。くじけず戦っておられる武藤さんを尊敬します。
Iさん
武藤さんのお話をやっと直接お聞き出来て、ほんとうに感謝です。置かれた場でがんばっていきたいです。お身体大切になさってリーダーとしてよろしくお願いします。
第14回定期総会 結審を目前にして
第14回定期総会は、議長に中村圭司さん、渡部玲子さんを選出したあと、「弁護団からの報告」として、薦田伸夫・伊方原発をとめる弁護団長の1年間の裁判の経過説明があった。
総会報告PDF 第14回定期総会「報告」
結果を出したいと 薦田弁護士
1月1日に能登半島地震があったが、4メートルの地盤隆起が起きた珠洲市に100万キロワットの珠洲原発計画が2003年に凍結されていて本当によかった。もし10基ともいわれた(幻の)珠洲原発が過酷事故を起こしていたら日本列島は壊滅だっただろう。能登半島地震の教訓は、この地震が伊方原発のある佐田岬半島と同じ、逆断層型だということだ。しかも能登半島地震はマグニチュード7.6だったのに比べ、伊方原発は中央構造線活断層帯から数キロしかなく、マグニチュード8以上となり、制御棒の挿入が間に合わない可能性がある。今回の能登半島地震を「自然からの警告」と受け止めるべきだ。数日前に330頁にわたる最終準備書面を裁判所に提出した。結果を出したいと思っている。
次に、松浦秀人事務局次長より経過報告、続いて同じく奥田恭子事務局員より決算報告、監事の高下博行さんより会計監査報告があり、それぞれ承認された。
続いて、和田宰事務局次長より2024年度の活動方針案、予算案、役員案が提示された。2024年度の具体的な活動方針として、6月18日の第40回口頭弁論(結審)に、原告、支援者の多数が参加して、住民の伊方廃炉に向けた熱気を示すこと、また、四国の全ての自治体住民が参加した裁判に相応しく、四国の主な地域で宣伝行動に取組み、メディアにも大きくアピールすること、また、控訴審(高松高裁)への対応が必須となるので今からその準備をすすめることが強調された。
質疑討論の中で、「ここに参加の皆さんが、それぞれの住む市町の議会に対し、原発をとめるための請願を出しませんか。また、とめる会として自分の地元の議会への請願をしようと呼びかけてほしい。憲法で保障された市民としての権利を無駄にしないためにも。」という提案があった。和田宰事務局次長が、「会の活動方針にもあり、今までに実践したこともある。とめる会の会員の皆さんと一緒になって、請願、陳情に取り組むという呼びかけを進めていくことになろうかと思う」と回答した。
その後に活動方針、予算、役員に関わる提案が一括して採択された。
なお、役員に関しては、松浦秀人事務局次長が退任し、泉京子事務局員が新任の事務局次長に就任。中尾寛事務局員が退任し、渡部玲子が新任事務局員に就いた。また、坂田進幹事におかれてはご逝去により退任となった。
退任の挨拶で、松浦秀人事務局次長は、「2011年11月3日の『伊方原発をとめる会』の結成以降12年余を事務局員として務め、2018年9月からはさらに事務局次長の任が加わりました。自分なりに全力を尽くして務めてきたつもりです。今後もニュース編集などできる範囲のお手伝いをさせていただきます。」と述べた。
最後に越智勇二事務局次長の閉会の挨拶で総会は終了した。
会場の絵画(杉山洋さん作)に ジッと見入る参加者