アメリカ全土が放射能に汚染されている       この事実を伝えたいと伊東英朗さん

第1回ミニ学習会報告:

 1月24日午後、「映画を通して事実を伝えたい」と題して、伊東英朗さん(ドキュメンタリー映画監督、元・南海放送ディレクター)に講演していただきました。松山にしては珍しく雪の舞う寒い一日となりましたが、30人弱の参加がありました。

  伊東さんは、1946年から始まった太平洋核実験による被ばくの影響を追い続けたドキュメンタリー番組を2004年から次々と制作し、その集大成として映画「放射線を浴びたX年後」「放射線を浴びたX年後2」を制作。ギャラクシー賞、芸術選奨文部科学大臣賞など数々の受賞歴をお持ちです。

 熱く語る伊東英朗さん 窓の外には時々雪が舞う中で

  「イギリスでの取材時に、核実験に参加した退役軍人から『核実験の取材に関わったジャーナリストの中には謎の死を遂げた人が多い。あなたも身辺に注意を』との助言を受けた」「アメリカでも同じようなことを言われた」と、サラっと言われて伊東さんの講演が始まりました。

次から次へと繰り出されたエピソードの数々を、箇条書きでご紹介します。

*アメリカのビキニ環礁での水爆実験は第五福竜丸だけでなく、延べ1000隻近くの船を被ばくさせたことは比較的知られているが、厚生省(現在は厚生労働省)が1954年に調査を打ち切ったこともあって、その後約10年間に繰り返された100回以上の核実験による被ばくや被ばくマグロ水揚げの事実が隠蔽されている。

*1950年代当時の世相として放射能雨の危険性から日本中が騒然としていた。その時代に新築された家屋の床下を南海放送時代にテレビ取材で調べた際に、未だにセシウム137が検出されて驚いた。また、太平洋上のアメリカでの核実験による放射能が気流によって沖縄経由で日本本土に運ばれたばかりでなく、ソ連や中国の核実験の放射性物質も日本列島に押し寄せた。その上、福島原発事故で日本はさらに汚染された。

*アメリカでは、ネバダ州で行った核実験の放射性降下物がその日のうちに東海岸のニューヨークまで汚染させている事実(コダック社のフィルムが感光したことでばれた)を早くから熟知しながら、繰り返し核実験を続けた結果、アメリカ本土全体が深刻な放射能汚染に見舞われた。また、専門家の指摘にもかかわらず、知識人を含む多くのアメリカ人が未だにその事実を知らないでいる。

静かに耳を傾ける参加者 知らなかった事実に驚嘆

 伊東さんが、配布された資料にあるアメリカ本土の汚染状況を示す下図を示された時には、思わず会場からどよめきの声があがりました。 

ネバダからアメリカ全土に広がった放射線汚染

*1950年代、ネバダ州ラスベガスでは「核実験見学ツアー」が多く実施されて、全米から万単位の観光客が押し寄せ、実験場の直近のプールサイドなどで核爆発の様子を、グラスを傾けながら鑑賞し、多くのツアー客が無頓着に被ばくしていた。

このエピソードも参加者の多くにとっては大きな衝撃でした。

*アメリカの西海岸は雨が少なく茶色がかった景色であるが、そのため放射能のホットスポットは少ない。一方、東海岸は雨が多く緑豊かであるためホットスポットが多くなることを現地の取材で実感した。 

ネバダ核実験場ゲート前で語る伊東監督 2022年6月 

 以上のような話を紹介されてから、3月末の完成を目指して制作中の「X年後3」について言及されました。

*1950年代半ば、ホットスポットとなったセントルイスで核実験による子どもの健康被害を恐れた母親たちと科学者が乳歯を収集し調査。核実験開始直後の頃の子ども達の乳歯と比べて、その数年後の核実験最盛期の頃の子どもたちの乳歯では、ストロンチウム90が30倍に増えていたという動かしがたい事実を発見。彼女たちの運動が、ケネディ大統領の心をとらえ、ついには大気圏内の核実験禁止条約に結び付いた。昨年夏のアメリカでの30人近くの人への取材を通して明らかになった、大気圏核実験をとめるに至った過去の素晴らしい乳歯収集運動の一連のムーブメントについて紹介したい。

3月31日の試写会に間に合わせるべく鋭意、映画を制作中の伊東監督 こうやって映画はできるのですね!

 ここまで話されて、伊東さんが今後、目指していることについて解説されました。

*銃で独立を勝ち取ったアメリカ人にとって、核兵器はアメリカのアイデンティティそのものとも言え、「廃棄を」の声は簡単に通じない。が、その核兵器の保持のために全土が放射能汚染され、日々深刻な健康被害が出ている事実をアメリカ人に是が非でも知らせたい。その事実を知った上でアメリカ国民が何をどう選択するか、アメリカの議会で真剣に議論してもらいたい。予定としては先ず3月31日に東京の記者クラブで完成試写会を行い、今年の夏からのアメリカ国内での上映を目指している。

 講演後の質疑応答も活発に行われました。「講演の中で『物差し』と言う用語を使われたが、その意味は何か、それをどうしたいのか?」との質問に対しては、伊東さんから「放射線量の基準値は専門家が一方的に数値を決め、それ以下なら安全などと言うが、それが正しいのか」「放射線は少ないなら少ないなりの危険性を持つと思われるが、財政上や経営上の事情から危険性を小さく見積もっていないのか」「数多くのデータの隠蔽があるが公開し、幅広い議論をしてほしいと願っています」との回答がありました。

 参加者からは「知らないことばかりで、とても驚いた」「興味深い話だった」「原爆の問題は核を扱うという点で、原発問題に深く結びついていると改めて思った」などの感想が寄せられて、第1回の学習会は参加者の「事実を知りたい」との意欲に伊東さんがシッカリ答えてくださって成功裡に終了しました。