3・13記念講演会報告 考えること悩むことは いのちに向き合うこと

原発核事故から10年 福島の今

安全かどうかは私が決める」が放射能情報センターの基本姿勢と片岡さん

 会津放射能情報センター代表の片岡輝美さんをお招きして、東京電力福島第一原発過酷事故から10年経った福島の現状を語っていただきました。会場のえひめ共済会館には60人を超える聴衆が講演に熱心に耳を傾けました。

 片岡輝美さんは会津若松栄町教会の牧師のパートナーであると自己紹介され、またこの教会は野口英世博士が通っていた歴史を持つと話された時には会場からは思わずどよめきが起こりました。

 教会脇に併設されている「放射能情報センター」のモットーは「どのいのちも大切にするために、本当に重要なことを見分けるために、事実を知る力と真実を身に着けること」とあり、活動の柱は①数値の収集と情報発信、②人の思いに寄り添う「いのちを守るために私たちはつながる」として、おしゃべり会、健康相談会、学習会、保養プログラムなど種々多様な活動を行っているとのこと。会津若松は福島第一原発から西に100キロの位置にあり、県内他地域に比べれば放射線量が低いため、強制避難、自主避難の両方の方々が避難生活を送っている現実があるとのこと。しかし、放射能に関しては、「他の地域と比べてどうか」ではなく、「事故前と比べてどうか」という物差しで向き合うべきだし、「原発事故」ではなく、「原発核事故」と呼ぶべきだと強調されました。

 また、核事故被害を「見えない化・見せない化」させ、「原発安全神話」から「放射能安心神話」を意図的に図る国の姿勢に鋭い批判を投げかけました。特に、事故当初、放射能の専門家が県民に「放射能はニコニコ笑っている人のところにはきません」「年間100ミリシーベルトまでの被ばくなら、影響はほとんどありません」との発言を繰り返したと言います。このことから、緊急時には国は国民を守らないことを身に染みて知り、「安全かどうかは私たちが決める」というしっかりしたスタンスを持つに至ったといいます。

 スライドを駆使しながらマシンガンのように早口で次から次へと話題を展開されていくのですが、驚くほどに滑舌がよく、しかも語り口はあくまで柔らかく、子ども脱被ばく裁判、宗教者核燃裁判に至る経過も自然と納得がいくとても分かり易い講演内容でした。

スライドに見入る

 休憩中には片岡さん持参の各種書籍や、とめる会の財源確保のための絵本「起き上がり小法師」(福島復興へのエール絵本1,500円)の販売も行いました。

 また、会場脇には「請戸小 2019 遺したものは」とのタイトルで松山市在住の杉山洋さんが福島現地ルポを通して描かれた油絵が展示され、津波と原発事故の二重苦に遭った「請戸の悲劇」に想いを寄せた聴衆も見られました。

展示された油絵「請戸小 2019 遺したものは」

 片岡さんの講演終了後に、福島県南相馬市からの避難者で、とめる会共同代表、また避難者訴訟原告団長でもある渡部寛志さんから「3/13講演会参加者ヘのメッセージ 今の思いと願い」が紹介されました。その中で渡部さんは、「東日本大震災からの10年は「時を巻き戻したい」と思う10年。先を見通せない状況がいまも続いている。私の願い、命を落とした多くの方々の願いは、あのような惨事を二度と再び繰り返さない・繰り返させないということ。まだ原子力災害の渦中にある人々、復旧どころか手付かずの地域もあるという現実をしっかりと心に留めておいて欲しい」と訴えました。

講演後、片岡さんを囲んで座談会

20数名が更なる交流を図りました

 講演終了後、20人を超える希望者がそのまま会場に残って片岡さんと座談会を持ちました。講演の感想を述べる人、福島からの避難者ファミリーとの交流について涙ながらに報告する人、会津若松のように若い人・地域とどのようにつながっていけるかと模索中の人、それぞれが抱える問題を出し合いながらの本音トークができました。最後に伊方ゲート前や松山市駅前での定例アクションで必ず演奏される「ふるさとは原発を許さない」を「げんさよ」の歌姫らに合わせてみんなで歌って交流会を閉じました。

「♬ふるさとは原発を許さない♬♬~」みんなで歌って締めくくり!