2023年4月から12月にかけて行われた証人尋問(8回)は、各回とも長時間にわたっていたため直後の裁判報告会を断念していました。
そのため、2024年1月14日にコムズ(松山市男女共同参画推進センター)の大会議室にて、伊方原発運転差止訴訟裁判報告会を開催し、この1年の裁判を振り返りました。100人を超える参加がありました。
報告会は、伊方原発をとめる会の須藤昭男事務局長(福島出身)の「提訴から12年、原発をなくすため奮闘されている弁護士のみなさんと今日、報告会を開くことが出来て嬉しく思う。福島で流された血と涙を決して忘れない。元旦に能登半島で大きな地震があったが、原発を動かしてはならぬとの警告だと思っている」との挨拶で始まりました。
中川創太・伊方原発をとめる弁護団事務局長の報告
中川弁護士が、昨年4月から12月にかけて行われた8回の証人尋問、書面尋問について、資料を基にパワーポイントを駆使して分かりやすく解説しました。
地震に関する証言
原告側証人の 岡村眞・高知大学名誉教授、 野津厚・国立研究開発法人「海上・港湾・航空技術研究所」港湾空港技術研究所地震防災研究領域長、 芦田譲・京都大学名誉教授 の各証人は、
*中央構造線の震源断層の詳細は判明しておらず、安易に安全を論証できないこと
*南傾斜の逆断層による地震発生のおそれがあること、
*その場合、基準地震動・クリフエッジを超える大きな地震発生のおそれがあること、
*中央構造線調査のために地下の3次元探査を実施する必要があること、等を証言。
また、被告・四国電力側の3人の証人に対する原告側の反対尋問のなかで、各証人の証言の虚偽・矛盾などが見事に明らかにされました。
*松崎伸一証人(四国電力・土木建築部長)への反対尋問では、四電が中央構造線の「活動性」を否定していたのは「間違いだったんですね」と問い、証人から「今となっては、1万年以降の活動を考慮して評価すべきだったように思います」との答弁を引き出しました。四電が過小評価を重ねてきたことが明らかとなりました。
*森伸一郎証人(愛媛大特定教授、地震工学、伊方原子力発電所環境安全管理委員会委員、原子力安全専門部会委員)への反対尋問では、「おおむね1000ガル」について、原子力安全専門部会では「耐震裕度(四国電力基準)と記載するのがよい」と語っていたが、陳述書ではその記載はなくなっているなど、「食い違い」や証人の姿勢の「後退」があることが明らかとなりました。
*奥村晃史証人(広島大学特任教授)への反対尋問では、中央構造線が活断層である知見は早期に存在していたにもかかわらず、四電が無視してきたことが明らかにされた上、奥村証人自身が確信犯的な原発推進論者であることも明らかにされました。
火山に関する証言
原告側の町田洋証人(東京都立大名誉教授)は、伊方原発敷地に阿蘇4噴火の火砕流が到達した可能性があり、立地不適であること、また、伊方原発の運用期間中に巨大噴火発生の可能性を否定できないと証言しました。これに対して、被告・四電側の証人の出廷はありませんでした。
シビアアクシデント対策に関する証言
原告側佐藤暁証人(原子力コンサルタント)が四電の対策は過酷事故想定が非常に甘く、人力に頼ったものであると証言しました。
被告側の中川俊一証人(四国電力原子力本部伊方発電所品質保証部長)に対しての反対尋問のなかで、5層ある深層防護の各層のいずれか一つでも問題があれば、原発が本来持つべき安全性に欠ける状態であること、また人力に依拠した現在の対策には限界があることが明らかにされました。
避難計画に関する証言
原告側の上岡直見証人(環境経済研究所代表)は、現状の伊方原発の避難計画は「放射線からの避難」の視点が欠けていて実効性がないと証言しました。また、伊方在住の長生博行原告は伊方原発以西の佐田岬半島に居住する住民は避難が大変に困難なことを、そして福島事故避難者の渡部寛志原告は、福島第一原発事故の際の過酷な避難実態について証言しました。
補充報告:薦田伸夫弁護団団長
薦田弁護士はホワイトボードを利用して、伊方沖の中央構造線活断層帯について参加者に分かりやすく図解して解説しました。四電は、原発建設を隠して用地を買収し、中央構造線の存在を無視していたこと、また、2号炉、3号炉の建設時には中央構造線が活断層であると認めなかったと説明しました。四電は今も横ずれ断層(南傾斜を考慮せず)を主張して何とかごまかそうとしているが、伊方原発は中央構造線の直近にあり、しかも逆断層の可能性があることについて、裁判官らも認識できたのではないかと説明しました。
各弁護士からの発言(要旨)
*今川正章弁護士:原告の意見陳述を担当したが、今回の能登半島地震をみて、珠洲原発計画が住民の反対で中止になっていなければどうなっていたか。日本列島にはどこにも原発が立地できる場所などない。
*高田義之弁護士:第一次伊方訴訟を振り返ると、内容で圧倒的に勝っている段階で急に裁判長が交代させられるということが起きた。その頃と司法を取り巻く情勢は違うが、現在は忖度がまん延している。しかし、原告側には多くの学者らからの事実・科学的実証に基づいた証言があり、さらに地元の弁護士の精力的な弁護活動があり、全国の脱原発の弁護士らも結集している。50年前の先人たちが託したバトンを受け継ぐべく、原発の息の根を止める時が来ていると思う。
*東翔弁護士:3:11の頃に司法修習生だった。伊方原発訴訟の12年はちょうど自分の弁護士人生と重なる。伊方訴訟では山梨の中野宏典弁護士と一緒に火山を担当した。原告側証人は「分からないことは分からない。しかしそれは『ない』ことと同じではない」と誠実に証言するが、被告側は「見つかっていないから、ない」という理屈でくる。裁判官がそこをきちんと押さえてくれると思う。
裁判報告のあと、会場からは「裁判の全体像がよくわかった」「核のゴミはどうなるのか」「能登半島地震をみると家屋が破壊されている。伊方原発の避難計画でまず屋内退避というが、無理だ」等の感想が述べられました。また、「能登半島地震を今からでも裁判に生かすことが出来るか」との質問に、弁護団から逆断層の危険性、避難の困難性など6月の最終準備書面で強く主張していきたいとの回答がありました。
「弁護団への費用はどうなっているのか」との質問には、印紙代や証人への旅費等で裁判費用はほぼ尽き欠けていると分かりました。「弁護団への報酬はゼロ」との回答に、須藤事務局長は思わず立ち上がり、原告や支援者は弁護団の熱意に応えていきたいと発言して会場から感謝の拍手が沸き上がりました。
13年目の3・11への取り組みを
閉会の挨拶では、松浦秀人事務局次長が「被告側証人は、四電側代理人による主尋問の時は立派な論を述べるけれども、その内容を真正面から突いてくる原告側弁護士の反対尋問に移った途端に『青菜に塩』になった」と証人尋問を振り返り、今一度、伊方原発をとめる弁護団の奮闘に対する謝辞が述べられました。
また、3月9日(土)の記念講演(講師は白石草さん、会場は愛媛県男女共同参画センター【山越】)及び、3月11日(月)当日夕刻の松山市駅前坊っちゃん広場での集会とその後のデモ行進への参加の呼びかけが行われ、盛会のうちに閉会となりました。
参加者Sさんの感想:
年明けの能登地震の大きな災害と被害を目の当たりにして、参加者全員が原発への不安と恐怖を募らせていたに違いない。2011年12月8日から始まり、2023年12月12日まで12年にもわたる長期間、(後の会場からの質問でわかったことだが)「弁護団としては報酬は1円も頂いていない」と回答された中川先生、薦田先生を始めとする全ての先生方の正義感、熱意によってここまで来たこと、原告となってくれた人たちの思い、とめる会の皆さんの努力など、改めて全ての人々に感謝する気持ちでいっぱいになった素晴らしい報告会だった。
裁判の主な争点となった地震、火山、シビアアクシデント、避難計画のそれぞれにつて、専門家である先生たちの証言するポイントが分かりやすく説明され、原告側の証言が圧倒的に科学的で論理的であり、四電側の主張が無責任で中途半端な科学理論に過ぎないことを理解した。中でも、正断層(四電)か逆断層(原告)かの食い違いは、能登半島地震が逆断層型で4メートルも隆起した恐ろしい事実を見れば、四電側の無責任な主張が認められてしまえば、私たちの命と尊厳をどれほど左右するのかその重要性に身震いする。放射能問題だけが企業としての社会的責任を問われない現状を打開する裁判になって欲しいと強く思う。
屋内避難は不可能、「屋内」自体が存在しないとの会場の感想も、「珠洲原発があったら大惨禍になっていた。反対運動でつぶしておいて良かった」というお話もその通りだと思う。珠洲原発の反対運動のことは全く知らず、声をあげることの大切さを改めて感じた。
剣と天秤を持つ「テミスの像」とか「正義の女神」とか呼ばれる像は「司法、裁判の公正さを表すシンボル」として有名だ。裁判官の公正な判断がなされるよう心の底から願う。