「母の被爆体験と伊方原発」講演会(7/26)報告

スライドを背に静かに語る松浦秀人さん

  原爆投下から75年の節目を迎え、愛媛県原爆被害者の会事務局長で、当会の事務局次長でもある松浦秀人さんが、胎内被爆者としての体験を通して、原爆も原発も人類と共存することはできないと静かに力強く聴衆に訴えました。

 あいにくの小雨模様のなか、コロナ禍で客席を通常の三分の一に抑えられた愛媛県美術館講堂の客席は全席埋まり、関係者等は開放されたドアの外で聴くという盛況ぶりでした。

  また、会場には医療生協からお借りした広島・長崎の被ばくパネル10枚が展示され、来場者は生き地獄を映し出す写真等に息を呑むようにして見入りました。

         32枚のスライドは語る 原爆と原発は双子の兄弟

 原爆が投下された広島。当時妊娠7ヶ月のご母堂が命からがら生き延びられた様子などを、スライドを通してまるで松浦さんご本人が体験したかのようなリアルな語り口で説明されました。そして戦後の被爆者としての苦しみにも言及。当時は放射線被害、特に内部被ばくについてあまり認知されておらず、被爆者は身体も暮らしも心も破壊されるような塗炭の苦しみをなめたとのこと。ただ、同一条件下の被爆でも放射線被害は個体差による違いが大きく、これを松浦さんは「貧乏くじの世界」と表現されました。31歳の若さで被爆されたご母堂の若かりし頃の写真と、スライド後半の穏やかに微笑んでおられる晩年の写真の間に流れた時間を思う時、深い感慨を覚えた聴衆も多かったと思います。

  被爆国として本来真っ先に署名すべき日本政府が責務を果たしていない現状があるものの、2017年には歴史的な核兵器禁止条約が成立。その間、福島の東電原発事故という未曽有の危機に遭遇した松浦さんは、まさに原爆と原発は同根であるとの認識に至ったとのこと。それが、伊方原発をとめる会の活動へと松浦さんの中で自然につながっていったことが聴衆にしっかりと伝わる講演でした。

                                聴衆の感想 アラカルト

*被ばくの証明がいかに難しいことか再認識した。フクシマの甲状腺被害の子ど もたちの問題に関わっているが、広島の経験を道しるべとして活かさなければと思った。

*講師の率直な人柄に触れた。より良い社会の創成に一番必要な資質だと思う。講師の生育歴をもっと深く知りたいと思った。

*お母さまの被災状況が具体的で印象に残った。とても分かりやすい講演だった。

*濃い内容にもかかわらず、ピタリと時間通りに終わってさすがだと思った。

*悲惨な過去を淡々と語った講師に理屈抜きのパワーを感じた。

*お母さまの被爆前の若い頃と穏やかな晩年の写真の対比が印象的だった。

*ツイキャスト中継をしたが、まさにその価値ありの意義深い内容だった。

    松浦さんの講演を以下から視聴できます。